第1回ジモシルインタビュー@伊東市

ジモシルインタビュースタート!


【ジモシルとは】

新潟県上越市役所のたけちゃんこと、上石剛士さんが始めた、地元を知る活動のことです。


たけちゃんは

ジモシルウォーク(市内を歩き回る)、

ジモシルリーディング(市に関する本を読む)、

ジモシルミーティング(市に関するテーマを話し合い、何かを企画する)を企画しています。

自分はそれを真似して、地域の人に話を聞きに行く、「ジモシルインタビュー」を開始しました!


【第一回のインタビュー】

第一回は、市内の某ラーメン店に、インタビューしました!(名前出しNGなので、今回は名前を伏せて書きます!)

1.最初に働いたラーメン屋


出身は伊東市です。高校卒業してから、最初は掃除のバイトをしていたのですが、体調を崩してしまいました。もともとラーメンが好きだったし、バイトを休んで時間があったため、実際にラーメンを作ることに興味が出てきたんです。

そこでまずは、ラーメン店で働いてみました。


最初に働いたラーメン店は個人経営のお店で、それほどこだわりがないようなお店でした。「仕事」として割り切っていて、ラーメンに対して情熱が感じられなくて、お客さんの入りも良くなかったです。

3.11の震災の時は特に顕著で、バイトしていた自分もお金がもらえるのか心配になってしまうほど入りが悪かったです。

個人経営営のお店だったこともあり、「家賃がいくらかかる」とか、「人件費はいくらかかる」ということもここで学べたので、今となってはここで働いたことが個人経営する上で教訓となっています。

2.東京へ


給料が少なくなってきたこともあり、友達もいたため、東京で再び掃除のバイトを始めることにしました。私が働いたていたのは町田なのですが、そこはラーメンの名店が多かったです。それに、掃除は現場に出向いて働くので、そのついでに色んなラーメン店へ行くことができました。

ビールケースを土台として机を作っているお店もありましたね。笑

飯田商店もあったのですが、当時は7席のカウンターしかないような、小さなお店でした。

面白かったのは、会員制のお店。看板もなくて、ドアも真っ黒でした。ただ、ドアの横に、「ラーメンが食べたかったら、ラーメンが食べたい!と叫んでください」と書いてあったんです。土日のみ一般開放していたので、その時に行ったら、中は別世界のような、アットホームな雰囲気でした。ラーメンは昔ながらの味で、チャーシューは分厚くて、煮卵も美味しかったです。今は変わってしまったけど、当時はお釣りをセルフでやっていました。お客さんとの間に信頼関係が生まれていたんです。

色々なラーメン店を訪れて、「この形でもやっていけるんだ」と思いました。この時の経験が、今の自分のお店の形の参考になりました。

3.伊東に帰ってから


しばらくしてから伊東に帰りました。

働き口を探そうと思い、まずは求人サイトで「ラーメン 求人」と検索しました。そこで見つかったのが、あるラーメンチェーン店。以前働いた個人経営のお店とは、規模が全く違いました。繁盛する方法は、繁盛しているお店でしか学べないと思ったので、ここで働くことにしました。

しかし、最初に与えられた業務はホールの仕事でした。規模が大きい分、分業制になっていて、気になる「裏」の部分は、全く見ることができませんでした。

ラーメン店では、仕事の内容ごとに「表」「中」「裏」に分かれているんです。


「表」はホール。

「中」は麺上げ。

「裏」はスープやタレなど、すべてのもとを作る場。


「裏」、「中」、「表」の順に階級が高く、「裏」まで行くには相当な時間と努力が必要でした。チェーン店なので昇格試験もあるんです。

そんな中で私は、たった3ヶ月で「中」に入ることができたんです。何年かけても入れない人がいる中で、3ヶ月は史上最速だと思います。

このお店はちょうど人手不足になっている時でした。また、自分がもともとバイトの経験もあって、調理についてはそれなりにできました。

それと、自分は他の人よりも志が高かったことも理由としてあるかもしれません。周りの同僚に何でここで働いているのか聞いたら、だいたい「家に近いから」「実家から通えるから」といった答えが返ってきました。でも、私は「日本一のラーメン屋になる!」と言っていたんです。

こういう理由があったから、たった3ヶ月で昇格できたんだと思います。

4.「中」での業務


「中」でやることは、繊細な作業でした。

ラーメンのタレをすくって器に移すスプーン。毎回定量のタレを入れてると思うかも知れませんが、実は違うんです。毎日、できるタレの味が微妙に違っていて、その日ごとにどれくらいの量のタレが最適か、毎朝判断する。そして、そのスプーンですくう作業の中で、表面張力ギリギリまですくうのか、すり切れの状態ですくうのか、すり切れよりも少なめですくうのか、毎日変え、それを一滴もこぼさずに器に移す。ここは、チェーン店だからこその繊細さがありましたねか。


「中」では、色々なことを経験できました。毎日300個の餃子を包んだり、チャーハンの調理を任されてからは、毎日チャーハン作りの練習をしました。チャーハンは、先輩から「こんなにまずいものは食ったことがない!」と言われたこともあるのですが、それでも毎日練習しました。毎日仕事終わりに友達に連絡し、「チャーハンいらない?」って聞いたり、家族に持って帰っていたほどです。餃子もチャーハンもやるたびに上達し、早く、おいしくできるようになっていきました。チェーン店で材料はあるので、コスト0で練習できたのがよかったですね。笑

5.一年で「裏」へ


「中」に入ってから数ヶ月で、店長が自分の店を持つため、やめることになりました。そこで、「裏」を任されていた人が次期店長に就任することになり、「裏」の席が空いたんです。そこに、次期店長が「裏、やってみない?」と声をかけてくれました。

運がよかったのもありますが、日々の努力と、「日本一のラーメン屋になる!」という志があったからだと思います。

「中」では、すでに用意されたものを調理する作業なのですが、「裏」ではすべての元となるものを作ります。だから、私はどうしても「裏」の現場が見たかったんです。その願いが、働いてからわずか1年で叶いました。

6.「裏」での研究


「裏」に入ってからは、朝6:30にはお店に行っていました。お店の鍵も預かっていたし、スープを温めたり、お米を炊いたりしなければなりませんでした。「裏」はすべて一人でやっていたため、本当に忙しかったです。

「裏」で初めて、スープのレシピを預かりましたが、そこで、レシピがそれほど精密ではないことに気がつきました。店長にわからない部分について聞いても、「これをこうやって、こういう感じでやればいいよ」といった返答で、アバウトだったんです。でもそれが、自分で研究することのできるチャンスになりました。レシピに書いてないことを自分で調べたり、自分で微調整して、研究しながら作っていました。

まかないで自分のラーメンを作る時も、毎回研究のつもりで作りました。一度他の店の店長クラスの人が「食べさせて!」と言って食べてもらったことがあるのですが、食べた店長クラスの人に「うまい!本店でも出したいから、レシピ教えて!」と迫られてしまい、その時は大変でした。

また、社長が旅行で立ち寄ったおいしいラーメン店で、その醤油がどこのメーカーなのか盗み見して、その醤油を発注して私に醤油ラーメンを作らせたこともありました。おいしく作るとパクられるということはわかっていたし、店長からも「食べさせないほうがいい」とアドバイスを受けていたので、わざと適当に作りました。同僚からも「まずい」と評判でしたが、それを食べた店長クラスの人が「うまい!」と言って、なぜか社長会議まで行ってしまいました。

さすがに最終的には却下されたのですが、あれも大変でしたね。笑

7.出店へ


次第に人手不足が顕著になり、「裏」の作業も本店近くの工場に移転することになったことから、働き始めてから2年で辞めて、自分の店を持つことを決意しました。店に迷惑をかけないよう、5ヶ月前には店長に伝えました。

そして、やめる3ヶ月前から、自分の店の準備を始めました。実は、今あるこのお店、すべて自分で用意したんです。水道工事も、厨房も、カウンターも、全部自分で作りました。働きながら工事していたので、中休みの時間に往復2時間かけて家に帰り工事したり、仕事が終わって家に帰ってから夜11ごろに工事をしたりしていました。お金もなかったし、大変でした。

今だから言えますが、支払いを滞納してしまうこともありました。やっと出店する時に手元に残っていたお金は、たった3万円です。それも支払い用の両替のためのお金で消えてしまいました。

なので友人には、「お祝いはお金でちょうだい」と言っていたほどです。しかしそれも、材料費でなくなってしまいました。

本当にお金はなかったです。それに、この場所でラーメン店開くと言っても、銀行はお金を貸してくれるわけがない。綱渡りの状況での出店だったため、もし失敗した時には「死ぬしかないな」とさえ思っていました。

8.軌道に乗った理由


それでもなんとか軌道に乗っていきました。

一つの要因が、Facebookなどによる口コミでの広がりです。誰か一人、市内で顔がきく人が私の店について投稿すると、それがすぐに広がっていく。そして、一度来てくれた人たちがリピーターになってくれる。そんな循環で、お客さんが来てくれるようになりました。観光客に来てもらおうとか、広告でみんなに知ってもらおうとは思いませんでした。広告費を出すお金がなかったこともありますが、味が良ければ告知しなくてもお客さんはまた来てくれました。

9.モチベーションの根源


まず、どのラーメン店で食べても、「もっとこうしたい」って思ってしまう。だから、自分でお店を持って、自分が理想とするラーメンを作るしかないということは考えていました。

それは、休日にただ自分が作りたいラーメンを作るというのとは、わけが違いました。お客さんが増えれば、それだけ、同じように質の高いものを作り続けなければならない。質を上げていかなければならない。そのためには、日々レシピの改善をしていかなくてはなりません。やっぱり、好きなことばかりで仕事はできないと思います。

それでも、自分が作ったラーメンで、食べた人が笑顔になった瞬間は、本当に嬉しいです。それを見るだけで、大きな励みになります。これは、どんな仕事でも言えるのではないでしょうか。仕事をして、それが相手に感謝してもらえた時、「やったよかった」と思える。人から感謝をしてもらえるようになれば、仕事は自然に楽しくなる。

大切なのは、「お客に感謝する」ことよりも、「感謝される」こと。「ありがとう」と言われたら嬉しいし、それが励みになります。

10.心に残っている言葉


普段は占いは信じませんが、占い師に言われて「それはそうだな」って思った言葉があります。それは、「信念を貫けば、お金はついてくる」という言葉です。特にラーメンでは、人の意見を聞いてしまうと絶対にぶれてしまいます。麺の硬さ、細さも同じです。自分の信念を貫き通せば、自然にお客さんもそれを受け入れてくれます。

そして、私の最強の武器は、「一人であること」だと言われたこともあります。確かにそうです。一人で経営しているから、自分の理想のラーメンを追求することができています。

11.コミュニケーションで大切にしていること


重要なのは、笑顔です。強張った顔で言うと、相手は距離をとってしまいます。場面によるけど、それが大切です。

あとは、一人ひとりに寄り添うことです。一回来てくれたお客さんの顔もメニューも覚えています。

お客さんが来てくれるから、私の商売は成り立ちます。それはどのお店でも同じことです。だから私は、来てくれたお客さんのお店で商品を買いたいと思っています。誰でも一人では生きていけません。だから、そんな風に支え合う環境を、地域の中で作るようにしています。

コロナで飲食店が厳しいと言われていますが、私のお店ではそんな中でもたくさんのお客さんに支えてもらっています。お買い物へ行っても、声をかけられます。いつも会費なんて回収してないのに、「会費だ」と言って支援をいただいたこともありました。

お客さんや近所の方と助け合う関係ができていれば、辛いことも耐えられるんです。

12.感想


お店の名前を出したいくらい素敵な方でした!

私は今まで、このお店のラーメンの味しか知りませんでした。

ラーメンに対して、これほどまでに熱い想い、これほどまでの苦労を抱えていたなんて、全く知りませんでした。

今ある繁盛している形は、過去の圧倒的な努力のもとに成り立っているんだと感じました。そして、自分から危ない橋を選んでやりたいことに挑戦したからこそ、必死になることができたのだと思います。

また、近所の方やお客さんとのつながりを大切にするということは、本当に大切だと思います。自分は、仕事をしていると、つい忘れてしまいそうになる感情です。「感謝する」のではなく、「感謝される」ようになる。これは、相手に寄り添って、他者目線で考えて行動しなければできません。

そしてその中で、「ありがとう」と喜んでもらえた瞬間が、励みになるという言葉は、本当に素敵でした。自分はその感覚を、なかなか味わうことができていません。もっと他者目線を持って行動することで、やりがいは見えてくるのかもしれないと感じました。


最初のインタビューで緊張していたのですが、とても素敵な方で、なんでも気さくに話してくださったので、いつのまにか聞き入ってしまいました。とても話しやすかったです。またお話を聞きたいです。

ありがとうございました!!


そしてこのジモシルインタビュー、これからも定期的に続けていきます。

「この人の話、聞いたほうがいいよ!」という声があれば、ぜひ教えてください!


いやぁ、、ボイスレコーダーで聴きなおしても、すべて通しで聞いてしまいました。最高でした。

本当にありがとうございました!

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