第4回ジモシルインタビュー@伊東市 (ボクシングインターハイ3位、全日本大学王座5連覇副キャプテン 上原譲

【第4回インタビュー】

第4回は、今年伊東市役所に新規採用職員として入庁した、収納課の上原譲です!

なんと僕と同い年です!

伊東商業高校、日本大学を卒業しました。

高校時代は、ボクシングのバンダム級でインターハイ3位。

大学時代は日本大学のボクシングで副キャプテンを務め、最高学年の時に全日本大学王座決定戦で、部として5連覇を達成しました。

ボクシングについて、伊東市について、彼が経験し、現在思っていることを聞かせていただきました。


~高校時代~

ーお願いします!ボクシングは、いつから、どういうきっかけで始めたの?

ボクシングを正式に始めたのは高校から。

中学まで空手をやってたんだけど、中3の9月に道場が閉まってやることがなくなった時、父とボクシングジムの社長の繋がりで、ボクシングに誘われたのが始めたきっかけ。運動したかったから、中学卒業するまでは週一でボクシングやるようになった。

高校は運動部に入るつもりはなかったけど、運動しないのは嫌だったから、最初は週2,3回くらいでボクシングを続けてたね。空手しかやったことなかったから、新しいことを本気で続ける気はなかった。

でも、高校入って2か月くらいしたら毎日行くようになってた。友達も2人一緒にボクシングやってたし、ボクシングも普通に楽しくて。その時も試合出るつもりは全くなかったけどね。

初めて大会に出たのが、11月の選抜大会。本気でやった時の辛さを知ってるから趣味程度でいいと思ってて、「俺は出ない」って言ったんだけど、父親に「出ろよ」と言われて強制的に出ることになった。父は、野球もサッカーもやってたし、高校の時は本気で陸上やってて、その影響でスポーツに力が入ってた家庭だった。

ー初めてのボクシングの大会はどうだった?

もともと出場者が県で5人だったけど、準優勝だった。東海大会には1位しか進めなかったから、その時は県予選決勝で負けて出れなかった。大きく意識が変わったのは、ここで負けてからかな。悔しさがあって、そこから、遊びとか趣味じゃなくて、真剣にやろうって思うようになった。

ーボクシングって、やっぱ練習きつい?

 きついよ、減量もあるし。減量は、試合の3週間くらい前からやってた。食べる量は減らさないといけないし、減量が下手だと水分接種も控えないといけない。追い込めない選手は勝てないから、きつくても追い込んでた。それに、基礎練やってても面白くないからね。基礎練は嫌いだったな。というか、練習が嫌いだったね(笑)。

 でも、ボクシングはマイナースポーツだから、全国にいける可能性が高いんだよ。静岡は特に人数少なくて、県で優勝すればインターハイ行けるから、それは一つのモチベーションになった。あと、やっぱりボクシングは自分に向いてるのかなって思う。空手の先生に後から言われたことなんだけど、「当て勘」が自分にはあったみたい。「当て勘」っていうのは、パンチを当てるタイミングのこと。これがある人は、「このパンチを出せば当たるな」っていうのが、勘でわかったりするから、それはボクシングにも通じるんじゃないかなって思ってた。

ーボクシングの好きなところってどこ?

 まず、ボクシングのスタイルは3つあって、前に出て接近しながら戦う「インファイター」、相手との距離を保ちながら戦う「アウトファイター」、インファイターとアウトファイターの両方で戦う「ボクサーファイター」。自分は「ボクサーファイターのアウトファイター寄り」で戦うことが多い。「当て勘」があってカウンター重視で戦えたから、この戦術をとった。

 この前体験してみてわかったと思うけど、ボクシングって、ただ腕で殴りあうだけじゃなくて、全身運動だったでしょ?その中でも「駆け引き」があって、体力的にきつくても頭を使いながら戦えるような、ボクシングIQが高い選手じゃないと勝てない。だからカウンターをとるために考えて、エサを撒いて、誘い出して、相手が来たところにパンチを打つ。勝った時の嬉しさももちろんあるけど、パンチを当てるまでの過程を自分で作って、それがうまくいったときの楽しさが本当に大きい。パンチ打たれるとむかつくし、「パンチ当てたいな」って思ってムキになりそうなこともあったけど、その気持ちは抑えるようにしてた。

ーボクシングって、殴られるじゃんね。怖くないの?

やっぱり最初は怖かったよ。顔殴られるなんて経験なかったからね。

ー試合中はやっぱり疲れる?

疲れるね。特に自分はスタミナが無かった上に、アウトファイターで、スピードが武器だったから、試合中はずっと短距離走ってるみたいに動き回る状態で戦ってたから、余計疲れた。でも、高校は2分×3ラウンド、大学は3分×3ラウンドで時間が短くて、捨てられるところがないから、集中は切らすことができなかった。

ー高校の時、思い出に残ったエピソードってある?

一番心に残ってるのは、高2の1月に千葉でやった合宿だね。高2は、インターハイは出たけど初戦で負けて、その後の新人戦県大会は決勝で判定負けして、すごい伸び悩んだ時期だった。その時あったのがこの千葉での合宿。一つ年上で全国ベスト4常連の人と試合できる機会があって、そこで変わった。他の先生から「危ないからやめとけ」って言われたんだけど、うちのジムの人が「やってみなきゃわかんねぇだろ」って言って押し切ってやらせてくれたんだよね。それで試合したら、やられた部分はあったけど、予想以上に自分の力が通じたんだよね。そのあと、その試合した人から、「すごくいいもの持ってるから、頑張って。」って言ってもらって、「あ、俺でも通用するんだな」って思って自信を持てたのが、変わったきっかけかな。

 ここが本当に自分にとってのターニングポイントだったって思ってる。やっぱり、実戦で伸びるときはすごい伸びるから、ここで変わったっていうのは、実感した。

ー高校最後のインターハイ予選は、県も東海も優勝で、全国3位だよね?全国3位になった感想って、どうだった?

成績はそうだね。全国3位はもちろん嬉しかったけど、試合で負けて感じた最初の感想は、やっぱり悔しさだった。本気で優勝狙いに行ってたから。でも、インターハイは、新人戦でシードとった選手がそのまま勝ち上がっていくっていうのが普通だったから、全国で成績を何も残していない無名の自分が上に上がれたのはすごい嬉しかった。

ー全国三位になれた要因って何?

 バンダム級の中だと、自分は割と身長が高くて、リーチが長かったっていうのがあった。後は、トーナメントのあたりがめっちゃよかったんだよね。

ーえ、でも、3位になるまでには結構強い相手と当たるよね?(笑)

 もちろんインターハイだからどの相手も強かったけど、ベスト8くらいからは本当に強い人しかいなくなるから、準々決勝でやった相手はそれまでより強かった。準々決勝の試合は、今までで一番面白い試合だったかもしれないな。自分と似てるような戦術をとるタイプで、同じような実力で、同じような駆け引きで勝負して。準々決勝は確かに運だけじゃ勝てなかった。気持ちももちろん大事だけど、やっぱり冷静さは大事かな。パンチを打って、相手には打たせないっていうのがボクシングの試合での理想だから、そこを常に考えながら戦えるような、冷静な選手じゃないと勝てない。

 でも正直、準々決勝は自分の中では負けたって思ったんだよね。その試合のインターバルでセコンドに「1ラウンド目とって2ラウンド目とられたから、最後の3ラウンド目が勝負だぞ」って言われて3ラウンド目に臨んだんだけど、めっちゃ相手からパンチ打たれたんだよ。それで「うわぁ、負けた。」って終わった直後には思ったけど、判定だと自分が勝ったんだよね。その後「俺負けたと思った」って周りの人に言ったら、「いやいや、全然に勝ってたよ」って言われたから、実際試合してるのと周りから見るのとだと、感じ方が違うみたい(笑)。

ーボクシングって強い人で優しい人結構いるイメージだけど、それって関係ある?「神の左」の人とか。

 山中慎介さんね(笑)。強い人って、人間ができてるなぁって思う。長谷川穂積さんとか井上尚弥さんも。ボクシングが強いだけじゃ、やっぱり限界はあるよ。

~大学時代~

ー大学は、ボクシング続けるつもりで入ったの?

 いや、実は、大学すら行くつもりは全くなかった。そもそも大学を学力で入れるレベルにまで達してなくて(笑)。それに学費もかかるから、大学は行かないつもりだった。でも、5月にインターハイ出場が決まった時に、うちのジムの社長、会長、コーチがみんな日大出身だったから、「日大どう?」って誘われたんだよね。最初は日大ってどんなところかも知らなくて、進学もしないつもりだったから「考えときます」くらいに適当に答えたんだけど、6月に東海大会で優勝した時に、「ご褒美で東京連れてくから、大学のリーグ戦見に行こう」って社長たちに言われて見に行ったんだよ。それ見に行った時に、衝撃受けた。すげぇカッコよかったんだよ。日大のユニフォームは赤で、ジャージも赤いやつ着て、部員の数も多くて、めっちゃ盛り上がってて、「超カッコいいじゃん!」って感じて、その時初めて「大学行ってみたいな」って思った。

 でも、お金もかかるし、弟もいるし、まずは高校のボクシングをやり切れるまでやり切ろうと思って、引退するまでは返事はしなかった。その後、インターハイで3位になったおかげで、推薦と学費を多少免除がとれることになったんだよね。そこで親と話したら、「行きたいなら行きな」って言ってくれて、大学に行くことを決めた。

ー大学の部活もやっぱりきつかった?

 きつかった。高校よりも全然きつかった。練習内容自体は、高校時代のほうがきつかったけど、大学は精神的にきつかった。うちの大学って、監督とコーチに指導してもらう機会が少ないんだよね。だから、自分たちで考えながら練習しないといけない。悩んだときにも自分で解決しないといけない。うまくいかないときでも、部活だから練習はあるし、悪いなら悪いなりにやらないといけなかった。

 それに、大学の時は、ずっとスランプだった。同じ大学の選手も他大学の選手も全員強くて、どんなに練習積んでも勝てるビジョンがなかなか見えなくて、怪我も多かったし、レベルの高さを痛感した。精神的に本当にきつくて、ずっとうまくいかなかった。当時はボクシングを楽しめなかった。基本、ボクシングは嫌いで、楽しさを感じた時期は一度もなかったかもしれない。厳しいルールも本当に多かったしさ。

ー大学の時はそれでも副キャプテンをやったんだよね?どういう流れでなったの?

 監督と、一番上の代が次の代のキャプテンと副キャプテンを決める。副キャプテンは3人で、俺がそのうちの1人になった。あと、副キャプテンと一緒に、総務も任された。寮の仕事とか、部活の庶務関係とか、主務の仕事。パソコン使える人が俺以外にいなかったからね。合宿中は特に、副キャプテンで部活まとめながら、そのあと総務の仕事やったりして、忙しすぎて不眠症になったこともあって、本当に大変だったな。

ー5.60人もいたら、部員間で温度差出てこない?

 あるある。それに、うちの代のキャプテンって、言葉でまとめるのが苦手で、練習の姿勢とか実力で引っ張っていくタイプだったんだよね。本当に強かったから、それで引っ張っていけて、それがうちのキャプテンの特徴だった。その分、自分含めた3人の副キャプテンで、キャプテンのできない部分をまとめてた。副キャプテンの中でも役割が分かれてて、副キャプテンの中でリーダー的役割の人がいたんだけど、部員の不満も結構多くて、「自分言ってるくせにやってないじゃん」とか言われてることもあったんだよ。自分はチーム内で揉めるのは好きじゃなかったし、もともと後輩たちと関わることが好きだったから、コミュニケーションをとって、不満あったら言いやすい環境を作りやすかった。やっぱ上下関係厳しいけど、それで言いたいことが言えないのは嫌いだったんだよね。俺も1年の時にそう思ってたから。「俺は気にしないから言ってこい」って後輩たちには伝えて、後輩の「こうしたいです」っていう意見をしっかり聞くようにしてた。

ー怒るとかじゃなくて、会話して意見取り入れるタイプだね。

 そうだね。ミスは誰にでもあるからさ。意識が足りなくて何回も同じミスするなら怒ることもあるけど、基本的にミスがあっても「しょうがない」って言ってたね。そんなに怒ってもしょうがないし、自分がまず怒られるのも怒るのも嫌いだしね(笑)。だから、自分がまず人にやられて嫌なことしないようにしようって意識して運営してた。

ー怒ることもあったんだね。俺そういうのできないんだよね、すごいわ(笑)。

 それは時にはあったね。部活やってる以上、なあなあにやるわけにはいかないから、言うべき時はしっかり言うようにしてた。でも、怒るのはやっぱり苦手だよ。怒るときも怒鳴るとかじゃなくて、諭しながら言うタイプ。部員に何か言うときは、ちょっと呼び出して、話しかけるように注意してた。

ー部活まとめる中で意識してたことって何?

 コミュニケーションは一番大事にしてた。部員が多いと、本気でボクシングやりに来ている人もいる一方で、大学で学ぶことを重視してボクシングをメインにしてない人も、いるにはいるんだよ。そこで絶対に出てくるのが、部員間の温度差。ここをどうするかが、部をまとめる上で重要だった。だけど、やりたくない人を無理矢理やらせるのは、自分は好きじゃない。自分も大学で壁にぶつかって、「もうやりたくないな」って思った時期もあったからね。だから、本気でできてない部員には、強制するわけでも放置するわけでもなく、「本気でやってる人たちの気持ちも理解しよう」と伝えて、一方で、本気で部活をやってる部員には、「こういうタイプの人もいるから」と言って、本気でできていない部員の気持ちを理解するように促した。部内で分かれないよう、そこの温度差を埋めてバランスをとることは意識してた。

ー部員も多いし、「やる気なければ部活やめちゃえば?」とは思わなかったの?

 確かに。本気でやりたくなくて「やめたい」って言ってる人を、無理矢理「やめるな」とは言うつもりはなかったよ。でも後輩から「やめたい」って相談があった時、「その先何か考えてる?」ってことは毎回聞くようにしてた。その先に何も見つかってないでやめるのは、一番もったいないから。だから、やめたがっている部員には、「やりたくないなら練習はしなくてもいい。でも、やりたいことが無いなら、見つかるまで部活は続けて、やめるのはそれからにしろ。」って言ってた。本気でやってる部員の迷惑にならないよう、最低限やらなきゃいけないことはやってもらいつつも、練習は強制しないようにしてたね。それで部活を続ける中で、自分自身で何か見つけることができるように促して、「何か言いたいことがあったら、ちゃんと言いに来い」って伝えてた。

ー総じて、大学の部活に入ってみて、どうだった?

 そういえば、中学高校って、自分は部活じゃなかったんだよね。高校時代のジムでも上に先輩がいなくて、ずっと自分がやりたいようにやってきたから、大学で初めて部活に入った時に、今までの環境と比べてすごい厳しいなって思った。言葉遣いもそうだし、後輩としての部の仕事もそうだし、慣れるまではそれが本当に大変だった。でも、部活は部活で楽しさはあったよ。人間関係に恵まれてきて、先輩たちの姿も見て、「こういう人間になりたいな」って感じたから、副キャプテンとしてここまで意識できたんだと思う。

よく大学で副キャプテンまでできたなって、自分でも思う。親も自分の性格知ってたから、「あんたよくできたね。」って言われたし、それが大学4年間で成長できた部分かな。

ー大学生活って、どんな風に過ごしてたの?

1年生の時は、朝は6時起床。それで朝6:15~8:00まで朝練やって、それで寮戻って風呂入って、廊下と階段の掃除して、朝食は上級生から食べて、洗面所の掃除してから学校行ってた。それで16:00までに帰ってきて、寮で寝てる先輩起こして、部活の飲み物用意して、練習場の掃除して、17:00~19:00まで練習。それで風呂入って、また廊下と階段掃除して、19:30から飯食って、21:30が門限。だから、実質的に自由な時間は門限までの2時間しか無かった。しかもその2時間の間に洗濯したり残った仕事したりしてたね。

ーえ、きつい!遊びたくならない(笑)? 週練習何回あるの?

めちゃめちゃ遊びたかったよ。でも練習は週6回だし門限も21:30だから唯一遊ぶ時間は、授業の合間と、週一の休みだけ。やっぱりもっと遊びたかったけど、サボる勇気もなかったからね。本当に辛すぎてグレた時期もあったけど(笑)。

ー寮って、嫌じゃない?強制なの?

嫌だよ、、、プライベートの時間もないし。でも、寮は強制だった。チームワーク的な意味でじゃないかな?すげぇストレスだったよ、めっちゃやめたかったもん(笑)。

ーやめようと思った時期あったのに、なんで続けられたの?

やめたがってる後輩に「その先何か考えてる?」って言ってたことを、一年の時から自分に課してたんだよね。それを考えると、やめた後にやりたいことが特になかった。それに、「卒業はする」っていう条件で親に大学行かせてもらったし。あとは、色んな人に支えられて大学に入ったから、やめたいけど、やめたら合わせる顔がないって思って、義務感で無理矢理続けてたね。

ー大学で部活やってみてよかったって思う?

 今考えれば、やってよかったって思うよ。もう二度とやりたくないけどね(笑)。

 人の縁は大事にしないといけないなっていうのは、大学の時に思えたかな。全国各地から色んな人が集まって、この場所に行かなかったら会えなかった人たちに会って、考え方も違って対立することもあったけど、4年間寝食ともにして、家族よりも一緒にいる時間が長かった。だから、自分にとってはもう家族同然だし、そういう人たちの縁を切っちゃいけないなって思う。大学の同期は一生の友達だし、先輩も面倒見てくれる先輩ばっかだったし、自分のことを慕ってくれる後輩も多かったし、いまだに連絡とって会ったりする。人の縁って大事だなって思う。

ー日大が五連覇できた要因って、なんだと思う?

 やっぱり厳しい寮生活があったからかな。うちの部は全国のボクシング部の中で日本一きついって言われてて、あの寮生活があったから勝てたんだろうなって思う。当時は「何わけのわからないこと言ってんだ」って思ってたけど、卒業して振り返ると、やっぱりあの寮生活は大事だった。リーグ戦は9対9のチーム戦で戦うから、戦うのは一人一人の個人だけど、応援で変わってくる部分も確かにあるんだよね。寮生活であれだけきついことやってたから、そこが団結感につながったんだなって思う。日大って、リーグ戦がやたらと強かったんだよ。6対3とか、7対2とかで勝つことが多くて、競ってもしっかり勝つんだよね。

ー礼儀も大切にしてる感じあるよね。ボクシング部のブログ、更新頻度めっちゃ多いし、OBと会食するとお礼のブログ投稿してるし。

 そう。うちの大学の部訓は、「目標はチャンピオン 目的は人間形成」。この部訓には2つ意味があって、1つは、人間として強くならないと、ボクシングも強くならないという意味。そしてもう1つは、大学でボクシングやるのは4年間しかなくて、その後の人生のほうが、圧倒的に長い。だから、社会に出ても恥ずかしくないような人間に育てようって意味が込められてる。この部訓を守るために厳しいルールがあって、当時はその意味を理解したくないほど嫌だったけど、それを当たり前として社会に出た今、「あのルールって大事だったんだな」って気づく場面が結構多いんだよね。挨拶一つとってもそうで、ボクシング部で学んだことが、ボクシング以外で役に立ってることが本当に多くて、今思えばあの経験にすごく感謝してる。

ー今まで振り返って、ボクシングを通して学んだことって何?

 1つは今言った、人間として強くあることで、もう一つは、高1の時の担任の先生から言われたこと。

 高校の時は部活じゃなかったから、試合に出るには学校の許可が必要で、それが認められてから、その担任の先生が引率に来てくれてたんだよね。この時の担任の先生が高校の恩師で、「感謝を忘れちゃいけないよ」って自分に言い続けてくれたんだよ。その言葉のおかげで、色んなことに感謝の気持ちを持つことができるようになった。

 まず、部活じゃないのに試合に出場することを認めてくれる学校がある。それに、指導してくれる人もいて、減量もある中で生活面を支えてくれる家族がいて、応援してくれる人がいて、挙げるとキリがないほど本当にたくさんの人に支えられてきた。そして、その人たちの支えがあるから、試合に出られる。「感謝を忘れちゃいけないよ」っていう先生の言葉でそのことに気づき、感謝の気持ちを持つことができたから、先生には今でも本当に感謝してる。親にも言われたことはあるんだけど、親に言われても中学、高校の自分じゃ「うるせぇなー、わかってるよ」くらいにしか思えなかったから、第三者に言われて初めて「すごい大事なことだったんだな」って思えたね。

 今までのボクシングでの経験を通じて、高校の時には感謝の気持ちを学べて、大学の時は人としあるべき姿を学ぶことができた。

ー俺も、家族への反発はあったな。

 父親は結構強制してくるんだよ。練習毎日行けとか、帰りの車も試合終わった後も説教だったりとか、その時は本っ当に父親のことが嫌いだった。だけど、インターハイで3位になった時、誰よりも喜んでくれたのが、父親だったんだよね。だから、インターハイ3位になって、メダルもらって一番良かったことは、父親が喜んでくれたことで、それが自分にとって一番嬉しかった。

ー感謝の気持ちって、持とうと思って持てる?俺、勝ったら絶対に調子乗っちゃうな。

 これもさっきの高校の恩師に言われたことなんだけど、「良いも悪いも目立つ」って言われてた。全国3位になれば当然目立つけど、その分悪いことも目立つってこと。だから学校に試合を出してもらって勝った分、感謝は絶対に忘れちゃいけないし、最低限やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないし、勝って調子に乗ってやっていいことなんて一個もないと思って、謙虚でいようと思ってた。

ー大学で部活続けられたのは義務感だったのに、部の勝利のためにそこまで尽くせたのって、なんで?

 義務感はあったけどなんだかんだ自分が個人としても大学としても負けたくなかったからかな。それと、面倒見てくれる先輩がいて、そういう先輩も、同期も、後輩も一生懸命頑張ってるのを見て、その思いを犠牲にしたくはなかった。だからサポートに回るときは勝つためにサポートしたいって気持ちが大きかったからかな。もちろん、やりたくない時期もあったけど、それでも一生懸命やってる人たちのためにサポートがしたいって思いのほうが大きかったね。

 感謝の気持ちと謙虚な心は、今でも自分の中で忘れないようにしてる。

~伊東市役所入庁~

ー伊東市役所には、何で入ったの?東京に住みたいって思わなかった?

もともとこっちに帰って来るつもりだったから志望した。

東京に住みたいとは、もう思わなかったね。人混みが苦手だったし、地元には友達も多いから。

ー伊東は好き?

 好きだね。この田舎感がいい。宇佐美で生まれ育ったから、宇佐美の人と町が特に好き。伊東に帰ってきた理由も、伊東の人が好きっていうことが一番大きくて、何かあったら助けてくれる人が多い気がする。

ー逆に、伊東の課題って、どこにあると思う?

 職がないことかな。それが原因で、外に出てった人が戻ってこないってことは多いからね。地元にしかできない仕事があって、興味持ってくれる人が増えたら面白いなって思う。

ーずっと役所にいるつもりなんだよね?伊東市で働いている中で、やりたいことってある?

 一個夢があって、「伊東といえばボクシング」っていうイメージにして伊東を盛り上げたい。まず、ボクシングはまだマイナーだから、もっと人気になってほしいって思う。海外だと、ボクシングは人気でお金の動きも大きいんだけど、日本はまだまだ動きが小さいんだよね。人が殴られる機会って普通に見ないよね?そこのスピード感、殴る音とかは、一回見るだけでもすごいってわかる。ボールを打ったり蹴ったりじゃなくて、人同士が殴りあうって所には迫力があるよ。

 それに、ボクシングを始めてほしい理由は二つあって、一つは、マイナースポーツだから、その分全国大会に出れる機会が多い。もう一つが、ボクシングは階級が分かれてるから、体が小さくても戦うことができるっていうこと。だから、あるスポーツで体が小さくて悩んでる選手がいるんだったら、「ボクシングをやってみない?」って誘ってみたい。

近くに伊豆ボクシングジムで練習できる環境があるし、それで成績を残せば大学の推薦がもらえて先につながるから、やってみてほしいなって気持ちがある。

 それにうちのジムって、プロに加盟してるんだよ。だから、普通にプロの選手がジムから試合に出ることができる。そこでプロの選手が勝って盛り上がってくれれば、スポンサーがついて、応援してくれる。それで選手がさらに強くなれば、「試合見に行こうよ」っていう人との繋がりが広がって、地元全体がプロを応援する。プロの選手が増えて、スポンサーもついてくれれば選手の働き口もできるかもしれない。それで「ボクシングやりたい」って人が伊東に来て、伊東を好きになってくれれば移り住んでくれる。だから、ボクシングで伊東が盛り上がってくれれば、すごくいいんじゃないかなって思う。

 ボクシングって痛いイメージが強いけど、全身運動ができるから、ジムの会員って、結構年配の方も多いんだよ。だから、ボクシングを選手じゃなくてトレーニングとしてやれば、痛くもないし、健康にもなれる。普通の人は、そんな激しい殴り合いなんてしないし、ボクシングを体験できる経験さえ提供できればなって思う。

 ボクシングやりたいならジム入ればいいじゃんって思うかもしれないけど、自分が役所の中にいれば、ボクシングの町にするためにうまく協力できるんじゃないかなって思ってる。


【インタビューを終えて】

 高校時代、伊東商業の前を通るたびに上原譲の名前の横断幕が出ていたので、僕は彼の名前を知っていました。ボクシングやってるからいかついイメージを勝手に持ってましたが、初めて市役所で会ったとき、礼儀正しい譲の人柄からは、格闘技をやってるなんてとても思えませんでした。

 しかし、インビューを終えて、彼のような人間だからこそ成績を残すことができたんだと気が付きました。人と殴り合う競技だからこそ、頭に血を上らせず、勝つために頭を使う冷静さが求められる。そしてその冷静さは、日々の生活から形作られて行くのだと思います。

 圧倒的なまでに他者に感謝を持てる姿勢はすごいです。学校から試合に出る許可が下りたくらいでは、僕は当然だとしか思えないかもしれません。でも彼は、その学校の許可にさえも感謝し、支えてくれるあらゆる人に感謝していました。その感謝の気持ちが彼を奮い立たせ、辛いことでも乗り越えてきたのだと感じました。

 副キャプテンの話も本当に勉強になりました。彼は、組織の中で必ず生まれるであろう温度差を、相互に理解しあうことで埋めようとしていました。悩んでいる人を叩きあげるわけでも突き放すわけでもなく、寄り添うことで全員が前に進める環境を作る。僕も部活をやっていたので彼の考え方を自分と比べてしまい、「自分じゃできなかったな、すごいな。」って終始思ってました。年が近いとこういう話、なかなか聞けないので、本当に貴重な経験でした。そして僕も、このインタビューで譲から学んだことを、部活でできなかった分、これから活かしていきます。譲、ありがとう!!

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