「とんかつ とん喜」店主 石井喜一郎さん(伊東市)

あなたは、今「好きなもの」ありますか?

好きなものに向かって全力で走り続けていますか?

今回インタビューさせていただいたのは、創業から42年目の「とんかつ とん喜」店主、石井喜一郎さんです。

とんかつが好き、料理が好きという思いから、始めた「とんかつ とん喜」。

当時は、「どうせ潰れる」「伊豆なら魚料理」と、お店を始めることに対して周囲から大反対があったそうです。さらにオイルショックで不景気の時期。それでも反対を押し切り、24歳の若さで借金を背負い、このお店を始めました。


ーお店を始めるまでの経緯を教えてください!

高校生の頃からとんかつ屋さんをやりたいと思っていて、高校卒業後、東京の調理師の学校に行きました。そこで1年間、調理師の勉強をしながら、渋谷のレストランでウェイターの仕事をしました。その後、様々なメニューがあり、多くの調理方法を学べると思い、まずは日本橋の洋食店で働きました。そこで学んだことは、とんかつ屋にも応用され、自己流の料理を作ることができるようになりました。

伊東でお店を始めたのは24歳の時です。今は42年目です。

ーとんかつ屋にした理由は何ですか?

一つは、高校の頃にとんかつを食べておいしいと思ったから。

そしてもう一つは、洋食屋さんでは料理が多彩で、多くの食材を用意しなければならないのですが、とんかつ専門ということでメニューをしぼることによってロスカットが可能になります。地元の人々は漁町ということもあり、魚料理は家庭で食べることが多く、観光客は夜の宿で魚料理が提供されます。普通は魚料理をと思いますが、肉料理なら地元の人も観光客も昼食にという思いもありました。[人の行く裏に道あり花の山]

ーお店を始めたころはどのような状況でしたか?

お店を始めたときはちょうど、第二次オイルショックの時で、すごい不景気でした。

なので、お店を始めるときには、全員が大反対した。年は若いし、景気は悪い。すぐ潰れるだろうと、ほとんどの人から言われました。場所も当時は舗装もされていない道で何もなく、そこで借金をしてお店を始めるのは本当に大変でした。

ー景気が良くなるまで、少し時期を待とうと思いませんでしたか?

そのチャンスを逃したらもう出来なかったと思います。

自分が「やろう」と思った時がチャンス。それを逃したら、自分は一生お店を経営出来ませんでした。それに、景気のいい時に始めると、景気が悪くなった時に失敗する可能性があると思います。逆に、景気の悪い時に始めて持続できたならうまくいく可能性が大きいと思いました。

メニューを作るのも、仕入れも、このお店の設計も、全て自力でやりました。人の力を借り

ていません。気合だけはありました。

ー色んな人から反対されて、嫌になったり、落ち込んだりしたことはなかったですか?

実際東京に行ったときは、現実はすごい厳しいなって感じました。だけど、ずっと雇われてたらサラリーマンと一緒で、それは自分には向いてないと思ったので、この場所でやろうと決めました。借金をしたとき、「どうせ潰れて夜逃げでもするんだろう」とか陰口叩かれてたけど、若さがあり、怖いものがなかった。若いっていうことは怖いもの知らずだから、勢いとパワーでやってきました。

もし反対意見を聞いて時期を見ていたら、怖さが出て出来なかったと思います。

家族からは、失敗した時のために、もとの家を売らずにとりあえず残しておこうとも言われました。だけど、それだと逃げ道ができてしまう。だから、みんなが反対しても、このお店の土地以外は、全部売りました。それが今振り返るとよかったと思います。やるしかないっていう環境を作って必死でやりました。夏の忙しい時は、朝の4時に起きて、夜の11時までやることもありました。特に最初の10年は、お金もなかったし、本当に必死だった。

だけど、苦労したとは思ってません。「負けられない」っていう意地があった。結婚も20歳でして子供も二人いたし、女房もすごく大変そうだったから、若さだけで頑張ってきました。

ー現在、コロナの影響はありますか?

この店は地元のお客さんが多いので、大きな影響はないけど、席数も減らしたし、確かにお客さんは減っています。コロナの前は外国人のお客さんも多かったんですよ。

海外のお客さんが多い理由は、「tonki.jp」というドメイン名を持ってるから。「toyota.jp」とか、日本の大きい会社は.jpが多いんですよ。.jpは「日本の」という意味。全国に「とんき」っていう名前のお店はいっぱいあるけど、うちのドメイン名がその中で一番短い。

インターネットの時代だということを先読みして、37歳の時に自分で勉強してホームページを作り、.jpが取得できるようになった日に一番でとりました。だからこのドメイン名は貴重。それで外国人のお客さんも多い。コロナで外国のお客さんは相当減ったから、それは売り上げに響いてます。

ー店内に豚の置物がたくさんありますね!

一番最初に、友人が奥さんのと僕のとで、豚の置物を二つくれました。

それをもらって飾ってから、色んなお客さんが持ってきてくれるようになって、今は600以上あります。世界中、日本全国のお客さんからもらっています。売り物じゃないのに、どうしてもと言って入手して、それを自分たちにプレゼントしてくれたこともあります。

こんなにたくさん!!

ーこのようなお客さんとの繋がりが強い理由って何ですか?

いつも美味しいとんかつを作ろうと思い努力しています。

予約はお受けしていません。いらした順で、どのお客様にも同様に接しています。1年間ウェイターとして働いてた経験も役立ち生かされ、お客様とはいつも自然体で接することを心掛けていますね。

それと、大事だと思っているのが、「いらっしゃいませ」だけではなく、帰るときに「ありがとうございました。またよろしくお願いします。」って、前を通るときと扉を閉めるときの最低二回は言うこと。お客さんがこっちを振り返るくらい元気よく言うと、心に残るんですよ。うちの女房は、商売やったことなくて、銀行勤めだったから、接客が苦手だったけど、とにかく「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を元気よく言おうっていうことは最初に決めました。

ーとん喜についてFacebookで投稿したら、返信をいただいたので、温かい雰囲気を感じました。

それは人間の基本です。投稿を見つけたら、返信は必ずしています。

ー料理する上で難しいことはありますか?

とんかつの豚肉は、人間も十人十色と言いますけど、豚肉にもばらつきがあります。それに、いつも新しい油で揚げるわけではないので、油にどこで見切りをつけるのかも難しいです。例えば油がちょっと疲れているとき、お客さんがたくさん来て油を変えられなかったら、揚げる技術でカバーするしかない。

油の状態も、豚の状態も毎回違う。だから毎回油の温度も調節して、色を見て、音を聞きなが油と会話しながら集中して揚げています。揚げ物は、一番難しい。日々勉強、日々努力です。

ーお店のこだわりを教えてください!

うちのお店のこだわりは、「胃にやさしいとんかつ」。昔のとんかつ屋はラード(豚の油)で揚げるのが普通でしたが、うちのお店では最初からサラダ油を使っています。

だから、とんかつにしてはさっぱりしてて、胸やけしない。食べた後も胃もたれしません。手作りってところもこだわりですね。パン粉は、「山茶花(さざんか)」からパンを届けてもらって、そこからパン粉を作っています。

マヨネーズも、ソースもドレッシングも手作りです。

ロースかつ定食

ーやっていて「楽しい」って思う瞬間はありますか?

「楽しい」と思ったことはあまりないですね、いつも真剣勝負です。

あと8年、50年目までできればいいなって思っているけど、厳しい。

コロナより何より、一番心配しているのが高齢化。高齢化社会だから、うちのお客さんもみんな高齢化してる。

料理は好きだけど、商売をやっていて楽だとか楽しいと思ったことは、一度もないです。

ー8年後どういうお店になっていてほしいですか?

8年は長いので潰れる可能性もあります。だから、8年後までお店が続いてることが理想。

一番よくないと思うことは、「儲けよう」と思うこと。「儲けよう」と思って始めると、失敗すると思います。うちは、42年前からやってて、値段は200円くらいしか上がってないんです。

ただ、おいしいものを出そうと心がけています。どんな商売も、「儲けよう」から入ったらダメです。何かを作るとしたら「いい商品を作ろう」という思いから入らなくてはいけません。

ーお店が40年以上続いている理由は何ですか?

料理が好きだからです。それしかありません。だから、思い入れがあります。全て一から自分で設計して、メニューを作って、全部この店を自分でやったっていう思いがある。

キッチンは、毎日昼と夜に一回ずつ拭いています。あの換気扇、始めたときから40年、ずっと使っています。

やっぱり、本当に好きで、熱意がないと続きません。好きだから毎日、おいしいとんかつを作ろうと思って、本当に作っています。

それが続くコツじゃないかな。いい加減に作ろうと思ったら続かないと思います。

自分が関わってる仕事を好きになること。「好きこそものの上手なれ」っていうことわざがあるように、ラーメンでもそばでも、それが好きなことが一番大事です。

毎日2回拭いている換気扇。40年以上経っても、鏡のようにピカピカでした。

ー「好き」なものは、どのようにして見つかりますか?

それは、天性です。急に「これ好きになれ」って言っても無理で、子供のころから「好きだ」っていうものじゃないとダメです。子供のころからこういうものが好きだっていうもの、そういうことから始まっていきます。

うちは親が半農半漁で、親が帰りが遅くなって料理を作れないことがよくあって、そういう時に自分で料理を作ってたから、好きになりました。

だから、「これやりたい」って思ったことから始めるべきだと思います。

商売を始めるにあたって、本当にそれが好きだったら、成功に導けます。


【インタビューを終えて】

石井さんのインタビューを通して、「好きだからこそ一生懸命になれる」ということを学びました。そしてそれは自分から作り出すものではなく、自分の今までの経験から生まれてくる。

自分はまだやりたいことが明確になっていませんが、それは好きな物に対してのアンテナが弱いのだと思います。石井さんが料理の道に進んだのは、幼いころに料理をした経験がきっかけになっています。それと同じように、自分自身が好きであることは見つけようとして見つかるものではなく、ふとした瞬間に訪れる。だからたくさん行動してみて、「好き」という感情を見つけたり、自分の今までの経験を見つめなおして、「何が好きだったか?」振り返ってみることが必要なのだと思います。

石井さんは、料理が好きだからこそ頭を使って工夫し、必死で努力して、厳しい環境も乗り越えることができたのだと感じました。「好きなことをやる」というのは、本当に重要なんだと思います。

石井さん、ありがとうございました。

そして、とん喜のとんかつ、本当においしいです!行ったことのない方、ぜひ一度足を運んでみてください!

定休日毎週木曜日
第三水曜日
営業時間昼 11:30~14:00
夜 16:30~19:30(19:00 OS)
ホームページhttp://tonki.jp/
Facebookhttps://www.facebook.com/j.tonki

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