マチをかき混ぜると、ひとりひとりの姿が浮かび上がる。クロスメディアしまだ事務局長兒玉絵美さん

画像5

名前を使わずに、あなたを表すとしたら、どう表しますか?


〇〇ちゃんのママ、▲▲さんの息子さん、★★の店主さん、♢♢の学生さん、▽▽が得意な人、□□の資格を持っている人、××によく行く人…
挙げていくと、きりが無いほど、たくさんの言葉が出てくるでしょう。

普段、会社と家の往復で大して何もしていないと思う人でも、日常生活の中で様々な側面を持って生活しています。


今回のゲスト、NPO法人クロスメディアしまだの兒玉絵美さんは、まちでそれぞれの人が自分の意見や考えを持ち、ある一面だけで縦割りに分類されることなく、多面的な存在のままで生きていくことができるように、縦割りの分野に横ぐしをさしたり、かき混ぜていくことを意識して、多様な取り組みをしています。


現在のクロスメディアしまだの活動は子供、芸術、情報発信、中間支援の4つを柱にしており、中でも子供と芸術を中心にしています。今までの10年間、頼まれごとは試されごととして様々な取り組みを実施してきた中で、徐々にふるいを掛けて残ったのがこの4つの分野の取り組みでした。


子供の分野では「こどもわくワーク」という地元商店街で子供達がお仕事体験をする活動を、芸術の分野では「無人駅の芸術祭」という大井川鉄道の無人駅周辺を舞台にした芸術祭を主催しています。


こどもわくワークは、子供を軸に、商業・金融・社会教育・防犯等様々な分野を横断する活動です。お仕事体験をすると、子供達は体験をしたお店のことを「私はここで店番をしていたんだよ!」と自分を主語にして話し始めるのだそうです。絵美さんは、そうやって子供のうちからまちの輪の中に入って、お客さんとしてだけでなく、自分事としてまちに触れてほしいと言います。

画像2
画像3

こどもわくワークは、キッザニアに憧れる周囲の子供たちを見て「いやいや、ちょっと待て、実際のお店でそれをやったほうが楽しいに決まってる」と思ったのが始めたきっかけのひとつだそうです。東京のキッザニアのような施設は無くても、いつも暮らす地域だって少し見方を変えれば実は魅力的。そう体感してほしいという願いが込められた企画です。

絵美さんは川根という島田市の山合いの地域出身。大学は京都へ出て、就職でUターンし、商工会の職員をする中で、商業という側面だけでまちの人に働きかけていくことに疑問を持ったそうです。


お店の店主であり、母であり、地域の一員であり、というような多面的な部分全てを含めてその人であるはずなのに、店主さんという「カテゴリ」に人があてはめられてしまっている。人の動きは縦割りではないのに、それを支援する機関の動きは縦割りで、ずれがあるように感じていました。


そして、人をカテゴリに分類していくと、その主語が誰なのかがぼんやりとしてしまうのです。「市民」とは?「農業者」とは?「観光業者」とは?主語がぼんやりしたとたんに、それはまるで誰にとっても他人事のように見えてきてしまいます。


絵美さんは、顔の見えるひとりひとりとして、多面的なその人という存在自体に関わっていきたいと言います。マクロではなく、ミクロの取り組みから全体に広げていくようなイメージです。


だから、活動の中で、主語がぼやけてしまう「みんな」にとって良いことは目指していません。みんなにとって良いことを目指そうとすれば、必然的に「みんなにとって良いこと」をひとつに決め付けてしまうことになるのです。本当は、それぞれにとっての良いことは違っていいはずなのに。


無人駅の芸術祭では、アーティストが地域の人達の間に入って、地域内外の人達を巻き込んでアートを展開していきます。以前の芸術祭では、白くてまん丸なお人形が色々な方のお家に行って可愛がってもらうことで、お地蔵さんのような存在を目指していくというようなアートがありました。

画像4

絵美さんいわく、アートというフィルターを掛けることで、地域に住む人達を見る視点が変わり、気づきを得ることができるのだそう。一般的には過疎の進む山間の地域に住んでいて、支援が必要だと思われがちなお年寄りたちが、実はすごく充実した日々を過ごしていて、うらやましく感じる、というような、価値の転換が起きるのです。

画像5

現代アートは答えがありません。だから、アートに触れることは、自分の感情や感覚を掴む練習になります。
学校の授業では正解が決まっていたり、働く中では、自分ではなく、上司やお客さんなど、他の人達の価値観につい、自分の価値観をそろえてしまったりして、自分自身で素直に感じるという場面は意外と少ないのかもしれません。


絵美さんは自分自身をワイルドサイドを歩いてきたひねくれ者だと言います。だからこそ、自分にないものの価値がわかるのだと言います。自分と似ている仲間ではなく、自分と違うからこそ、いいな、と思うのだそう。
みんな一緒じゃなくていい。自分の意見や考えをちゃんと持つこと。それには正解は無くて、それぞれでいい。それが本当の自由であり、絵美さんの想うゆたかさにつながる在り方です。

UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川
http://unmanned.jp/
こどもわくワーク(キッズまなび図鑑)
https://kids-manabi.jp/
地域情報誌cocogane(ココガネ)
https://www.facebook.com/cocogane/
しまだ市民活動センター
http://scsc.jp/

【編集後記 】
絵美さんは自分自身が人が通らないワイルドサイドを歩いてきたからこそ、自分と違うものの価値を知り、慈しむことができる人なのだなと思いました。
私は偶然、事故のように自分自身の在り方を見つめなおさなければならない環境に放り込まれて色々考えるようになり、自分事して何かをしていくことの楽しさを知りました。もしそれが無かったら、当然のように割り当てられた役割を一生懸命全うしようとする、自分の中に軸が無くて、いろんなことを人のせいにする人間になっていたかもしれません。
王様であったことが無い人は王様では無いことを嘆かない。経験していない人はその価値を知らないし、自分がそうでないことを何とも思いません。そういう人達にその人達の知らない価値を知る経験を作っていく取り組みはきっと、私が想像できない位難しいでしょう。けれど、絵美さん達にはそれができる今までの積み重ねと、想いがあるのだと感じました。
私も自分の取り組みの相談をしたり、協力をしていただいています。ひとりの人として自分を見てくれるのがとても嬉しいです。そして、絵美さん達のような先を行く想いのある人達がいるというのは私達を勇気づけてくれます。

タイトルとURLをコピーしました