第2回ジモシルインタビュー(利岡正基さん)@伊東市

【ジモシルとは】

新潟県上越市役所の上石剛士さんが始めた、地元を知る活動のことです。

彼はジモシルウォーク(市内を歩き回る)、ジモシルリーディング(市に関する本を読む)、ジモシルミーティング(市に関するテーマを話し合い、何かを企画する)を企画しています。

自分はそれを真似して、地域の人に話を聞きに行く、「ジモシルインタビュー」を開始しました!

【第2回インタビュー】

第2回は、ペンション「アースルーフ」(http://xn--cck3b7dydxdc.jp/)のオーナーであり、「伊豆高原観光オフィス(IKO)」の代表もされている、利岡正基さんにお話をお伺いしました。

(家族写真:利岡正基さんは写真右上)

利岡さんは、なんと北海道出身。そして、日本IBM株式会社で働いた経験もあります。さらに、京都市、船橋市、市川市、横浜市、日光市や東京都内などなど、さまざまな場所での生活を経て、現在、伊東市で生活、活動されています。

伊豆高原観光オフィスとは?

【公式】伊豆高原観光オフィス(IKOアイコ)
| 【公式】伊豆高原観光オフィス(IKOアイコ) | 伊豆高原観光オフィス(IKOアイコ)

静岡県伊東市の伊豆高原エリアの観光事業者(宿泊施設、美術館、博物館、観光施設、体験施設)が中心の地域団体です。

事業者間の連携で情報の共有をしたり、情報の発信をしたりしています。

地域活性化事業として、伊豆高原の3つのブランド「ペットツーリズム」、「自然」、「アート」の柱を中心に、地域インフラ整備、教育旅行事業、SDGs推進等観光を中心に地域の様々な事業に取り組んでいます。(ホームページから転用)

ちなみに、協力事業者は121施設にものぼります!

伊東市に移住されてから6年も経っていない中で、ペンションのオーナーだけではなく、IKOの代表として積極的に活動されている、その想いを聞きました!

ペンションを始めるまで

伊東市には、「昔から伊東市に住んでいる人」と「他の場所から移住してきた人」がいて、多様性があります。そしてペンションを営んでいる人の中でも、始めた理由が積極的な人と、消極的な人がいます。実は僕、後者の方なんです。企業で働いていた時、10年20年先のことを考えると、「未来は明るくないな」と思い、他の道を探してました。そして、今ペンションの経営という道に行き着いたんです。

ペンションを始めた理由

40歳で企業から転職しました。転職をしようと思った理由は2つです。

1つは、仕事が忙しく、家族との時間が取れなかったこと。子供がまだ小さいのにもかかわらず、ほとんど相手ができませんでした。

2つ目は、上司を見るとともに、当時の仕事をこなしていく中で、「明るくないな」と思ったからです。10年先の先輩は、どうしても自分の10年後の未来と照らし合わせて見てしまう。当時の上司は、「トラブルが起きないようにどう対処するか」ってことしかやっていないように見え、「これができても楽しくないな」って思いました。

また、僕の仕事も、お客様のためではなく、社内のための仕事になっていました。システム構築のプロジェクトを手掛けていたのですが、社内でトラブルが起きないように資料の用意、プレゼンの準備をせざるを得ない状況で、「自分は何をやってるんだ?」と、当時は感じていました。

その2つの理由から、「仕事を辞めて、全く違うことをした方がいいな」と考えました。

そこで、ゆっくり家族との時間をとりながら生活するなら、地方暮らしがいいと思ったのですが、ペンション自体は、妻が「こんな仕事あるよ」と言って紹介してくれたことがきっかけなんです。

僕は何か特別なスキルがありませんでしたが、ペンションは特に資格がいらない。すぐにできる。さらに、家族との時間が増やしたかったので、自宅で仕事もできてしまうペンションは最適でした。

それでペンション経営を目指し、当時の仕事を辞める決意をしました。

仕事を辞めてから

仕事を辞めてからはまず、日光のペンションで住み込みで働かせてもらいました。住み込みは、若い人が1人でするのが普通ですが、ここは特殊で、家族で住み込むことができるペンションでした。

住み込みで働き始めた2013年末の当時は既に、「ペンションで独立する」ということが明確に頭にありました。

2014年、1月の閑散期に入ってから、働いていたペンションの財務諸表で、どれくらい売り上げているのか?どれくらい費用がかかるのか?参考にして、事業計画を作り始めました。

そして4月に物件を見に行き、4月17日にはもう仮契約をしました。

その後、6月に銀行から融資が決定し、7月に今のペンションを正式に契約できました。それから、ペンション本社の「辞めるなら3ヶ月以上前に言う」というルールに従い、10月に辞めると本社に言いました。

そして、2014年の年末に現在の『アースルーフ』をオープンしました。

日光で働いたのは10か月でしたが、そこで本当に多くのことが学べました。

「ペンションをやる中で何が必要なのか」「まずは何をすべきか」を知ることができたので、この経験があるかないかで本当に大きな差があったと思います。

大事な人との出会い

振り返ると、人生のポイントとなる時期に大事な人に出会えたなと感じています。

 一人目は、日光で僕が働いたペンションの、前任の人。彼はペンションで既に3年間働いていたのですが、ペンション経営するという夢を諦めてしまったんです。彼とは10日間くらいしかかぶらなかったけど、彼に言われたことは、今でもずっと大切にしています。その中でも特に心に残っている言葉は、「すぐに独立するための準備を始めなさい」という言葉。僕は、とりあえず1年間(四季)を経験して、だいたいのことを学んでから独立の準備をしようと思っていました。

でも、彼がペンション経営を諦めた理由は、3年働いた後で独立の準備を始めたら、希望していた条件の物件を得ることができなかったからなんです。彼からしたら、早く準備しなかったことに対して大きな後悔があり、そのような言葉を僕に投げかけてくれたのです。それがきっかけで、早く準備を始めることができました。

彼の言葉が無かったら、今ここにはいなかったかもしれません。

そして、伊東でも大きな出会いがありました。このペンションを購入した、AMSTEC不動産(伊東市八幡野)です。この不動産屋さんで、買いたい物件(今のペンション)が1件目にして見つかったのですが、当然融資を受けなければ買うことはできません。そこで、沼津の金融機関に融資を申し込んだのですが、それは通りませんでした。理由は経験と資金不足。どちらもその金融機関の基準を満たしませんでした。

その時、この不動産屋さんが動いてくださいました。地元の面識がある金融機関に、僕が作った事業計画書を持って行き、「この人は大丈夫だから」と銀行に押してくれたんです。

それでその銀行と電話で話すことができ、融資も受けることができました。

あの時この不動産屋さんが動いてくれなかったら、融資の時点で頓挫していたかもしれません。この不動産屋さんのオーナーが土屋さんという方なのですが、その人の名前から、『アース(土)ルーフ(屋)』というペンションの名前にしたんです。

彼自身は遠慮していたのですが、それよりいい名前が見つかりませんでした。それに、この場所の景色や場所を考えると、このペンションのイメージともあっています。

土屋さんは、僕が購入すると決まった後も本当に良くしてくださいました。前の所有者が退去してから僕が住み始めるまで7か月くらい空いたんだけど、それだけ空くと普通はカビがすぐに生えてしまう。そこで、僕がいない間に定期的にここの換気をしていてくれたんです。それだけでなく、荷物を運ぶときに軽トラを貸してくれたり、作業着を着て手伝いに来てくれたりもしました。土屋さんには今でも本当に頭が上がらないです。

この様な出会いのおかげで、今、ペンションを経営できています。

「ペンションをすぐに始めると決断したとき、怖さはありませんでしたか?」

なんとなくの気持ちでペンションを始める人は、逃げ道があるから怖さを感じてしまうのかもしれない。僕の場合は、仕事もやめて家族も抱えていた。そういう点で、「やるしかない」っていう局面だったから、怖さは全くありませんでした。

 始めたばかりの頃は、妻との喧嘩も絶えず、本当に大変でした。でも、あの時苦労した経験があったからこそ、今のコロナの状況や、多少辛いことがあっても耐えられるようにもなりました。

「伊東を選んだ理由は何ですか?」

ペンションはどこでやるか?で、まずは「海」か「山」で分かれるんだけど、僕と妻2人とも「海」で一致しました。

次に、首都圏での居住経験が長かったため、首都圏から近い海を考えました。そうすると、「伊豆」と「房総」が思い浮かびますよね?

そしてその二つを比べたときに、「どう考えても伊豆でしょ!」って思い、伊豆を選びました。僕の中で、伊豆に対するブランドイメージが強かったんでしょうね。

伊豆高原に関していえば、宿がめちゃくちゃ多い。200件くらいあって、房総の館山と比べても、2.5倍くらいはあった。それを考えると、「200位中100位くらいに入れば生活はできるんじゃない?」って考えました。今考えると、家族もいて借金も抱えている状況だったので、「100位に入ればいい」というのは、浅はかだったとは思いますけどね。笑

でも、宿泊施設が少ないところで成功しようとするなら、まちづくりの1から作っていかなければならない。それは厳しいので、そういう意味では環境が整っている伊豆高原を選んで間違いはありませんでした。

実際伊豆高原に移り住んでみて

移り住んで良かったと思っています。ここは本当にいい場所です。自然が豊かで過ごしやすいし、都会だったら今のような幸せな気持ちになれていません。

それに、自分の立ち位置が埋もれないでいられる。江戸川区に住んだことがあるのですが、そこでは少し動くくらいでは声は全く届かず、自分の存在感は出ません。区長の名前すら知らない人も多い。でも、このまちならある程度動いたら知り合いも増えるし、自分の声が届きます。

一方で、このまちは「CIVIC PRIDE」を持つに値する場所なのに、みんなの中でその意識が弱いような気がします。この「CIVIC PRIDE」という言葉を僕はよく使うのですが、住んでる人が自分のまちを好きになり、誇りを持つことでまちは強くなると思っています。僕は「住みやすい街ランキング」の上位に常に入る函館や札幌、京都に住んだことがありますが、その時の「CIVIC PRIDE」よりも、いまここで住んでいる「CIVIC PRIDE」の方が大きい。それだけ魅力があるってことなんです。

だからこそ、みんなに同じ気持ちを持ってもらえるよう、活動しています。

「他のまちと違う点はどこですか?」

一番は「人」の良さかな。例えば、知らない人同士でもすれ違うと挨拶をする。そんなこと、都会ではあり得ないです。

あとは、「自然」ですね。

意識してないかもしれないけど、実はみんな自然に守られているのではないかと思います。コロナの中で学校に行けなくても、外に出るだけで自然に触れることができる。気持ちよく息を吸うことができる。それでストレスから守られているのかもしれません。池地区の田んぼを見るだけでも、「頑張ろう」と思えたり、幸せな気持ちになることができます。都会の人は、休みの日にお金を払ってでも地方に出かけたりしますよね?そんな場所に住むことができている僕たちは、本当に幸せです。

「自然が豊かである一方で、都会のような利便性がないことに不自由は感じませんか?」

確かに、「これがあればいいな」って思うことはあります。大きなショッピングモールとか、チェーン店の飲食店とか、都会ほど多くはありませんよね。でも、全く手に入らないわけじゃない。沼津に行けばららぽーとはあるし、お店に商品がなくてもネットで買うことができる。どんな自治体でも、100%完璧なまちなんて存在しません。

それよりも、圧倒的にプラスの要素が大きいので、気にはなりません。

例えば、友人がこっちに来ると僕は必ず大室山に連れて行くのですが、その時に「うわぁーっ!」て感動した声を聴くと「CIVIC PRIDE」の感情がくすぐられ、嬉しい気持ちになります。

「ペンションを「消極的」に始めたのにも関わらず、「伊豆高原観光オフィス(IKO)」の代表を務めるなど、現在「積極的」な活動を行われている理由は何ですか?」

妻に言われたのですが、根が仕事人間なのかもしれませんね。

でも、結局なんでそんなに活動しているんでしょうね…。

忙しくするのが好きなのかな…。

暇を作りたくないのかもしれませんね。ゆっくり過ごすことも大切なのかもしれませんが、確かにその時間は少ないですね。

でも一つ、以前と大きく違うのは「楽しめているかどうか」。今は、楽しめています。

具体的に考えてみると、最初のきっかけは、伊豆高原ペンション協同組合に入ったことですかね。伊豆高原にはペンションの組合が2つあるのですが、修学旅行の受け入れをやっているということで、収益にもつながると思い、片方の組合に入らせてもらいました。それが2015年5月で、「アースルーフ」をオープンしてから半年弱経った頃です。

そこからは、修学旅行の受け入れの役割分担や、組合の理事など、「若手だから」と乗せられたこともあり、色々と関わるようになりました。その中で大きかったものが、「農泊推進事業」。観光客を農山漁村に呼び込むために、農水省が指定した地域に交付金を交付する事業で、農水省は、その交付金指定地域を500に増やす計画を立てていました。その時様々な地域に声をかけていた様なのですが、教育旅行をやっていたこともあり、伊東市にも声がかかったんです。その2回目の事業説明会に僕も顔を出したのですが、その場の流れで交付金の申請書を僕が書くことになって、事務局長までやることになりました。

この事業を通して大きかったことは、伊豆高原にある2つのペンションの組合が協力し合えたことです。以前は伊東市が補助するにもどちらかを優先するわけにはいかず、2つの組合でバランスを取らざるを得ない状況でした。また、お互いの組合が協力する場面もなく、発信もバラバラでした。しかし、この農泊の事業で初めて両団体が協力し合い、お互いに代表者や理事を出合って進めることができたんです。

 これをきっかけに、バラバラにやっていた地方活性化の事業を協力してできるようになり、「伊豆高原で観光協会を作らなければダメだ」という話にもなりました。

それで、伊豆高原で横の関係を作るため、伊豆高原観光オフィス(IKO)が立ち上がることが決まりました。

 その後、打ち合わせを重ねていく中で、計画書は僕が作成していきました。また、市とも話し合った経験があり、いろいろな活動の中で知っていることも多かったので、「利岡がやった方が早いんじゃない?」という話になり、僕が代表をすることになりました。2019年の6月に承認され、7月にスタートしたので、そろそろ1年経つ頃です。

 当時、ペンションの人は知っている人が多かったのですが、それ以外の観光施設の人は知らない人が多く、「誰だこの人?」って思われたかもしれません。それに、市から補助金をもらいながらやっているし、「ここまでやればOK」という基準がない。その分最大限の努力をしなければならず、今も責任感を感じ、必死にやっています。

伊豆高原観光オフィス(IKO)の前進した瞬間

基本、IKOではメールでコミュニケーションをとるのですが、「この人誰?」と思われている状態で送っても、「知らない人からのメール」としか受け取られません。そこで、まずは全ての施設を回り、施設の方全員と一対一の関係を作るようにしました。そうすると、「知らない人」からの連絡ではなく、「利岡」として連絡を受け取ってくれて、相手からも連絡をくれたり、頼ってくれるようになりました。

 大きく前進したのは、去年の台風の時です。組合の一人一人から、断水や、利用できる施設などの情報提供をしてもらい、それを一日に何回も全員に発信していきました。そうすると後日、「役立った」という声をもらって、「誰だこの人?」という状態から大きく前進しました。それと並行して伊豆高原の事業計画も進めてきているのですが、そこでの考え方も次第に一致しつつある感覚が持てています。

 現在のコロナでもそうで、施設の情報や伊豆高原の取組の発信、給付金申請のお手伝いなどをしています。人によっては、申請一つとっても難しいことで、それを手伝うだけでもその人を助けることができる。「IKOができてよかった」という言葉をもらった時は本当に嬉しく、自分にとってもありがたかったです。それがこのような地域で活動する意義だと思っているし、そういう経験があると、やり続けていくしかないと思いますね。戦略的に地域活性化をやる一方で、全ての人が頼れる場所にしていきたいです。

 一生懸命やっている人は、みんな「縁」を大切にしていますね。「いい人と出会えた!」って思ったら、その後もつながっています。僕もそういう「縁」を大切するようにしていますし、何かあった時にその「縁」の中で求められる存在にならなければと思っています。

 そして、「やらない」ことはあっても、「やれない」ことって、ほとんど無い。

頑張ればほとんどのことはできる。それはうちのペンションでも、IKOの活動でもポリシーにしています。「とにかくやる」という気持ちです。「やれない」と言ったら終わりだと思っています。

IKOの将来

現在は助成金をもらいながらIKOの活動をしていますが、それでは市のお金でやっているだけになってします。最終的には助成金なしでもお金が回るような仕組みを作りたいと考えています。最近では、仲介者がいたことで、浜松市や静岡市の県の教育委員会を訪問することができ、教育旅行の紹介をしたところ、沼津の学校に仮予約していただきました。これはコロナの中でも一つの成果だと思っています。

事業の中で、「教育旅行」は大きな柱となります。今の2団体を一本化した窓口を作ることを今年のテーマとして、現在調整しています。これができれば、経費の無駄な部分が削減できます。

また、組合の中でも、本当に汗をかいて頑張ってくれている人がいる。これは奉仕精神と責任感からだと思うけど、それで完結するのではなく、正当に評価されるように手当を出す仕組みを作りたいです。そうすることでお願いする側も、される側も健全化されるはずです。現在は頑張っている人が評価されるどころか、それが当たり前になってしまっているのではないかと思います。そこを変えて、頑張ってくれている人が評価される仕組みを作りたいと考えています。

コロナ下での現在の活動

コロナになって、僕は逆に忙しくなりました。

最近は教育旅行の問い合わせ、環境省の国立公園プロジェクトの補助金申請が忙しいです。申請は締切が10日なので、今それを詰めています。

それに加え、コロナの後どうやって活性化するかを、夜定期的にミーティングしています。

また、IKOのメンバーとも週一で十数人といろんなテーマを設けてディスカッションをしています。あとは、隙があれば資料を作っていますね。それは、大切にしている「準備」の一環なのですが、何かを理解してもらうとか、決めるときなどには必ず資料が必要です。準備なしに話し合っても、「空中戦」になってしまい、結局結論が出ません。そうすると、次の会にまた同じ内容で話し合わなければなりません。「人を説得しよう」「決めよう」と思ったら、必ず資料を作ります。

コロナでペンション自体の仕事は減っているはずなので、このようなペンション以外の仕事が多いんでしょうね。

「準備」の大切さ

例えば、初めての人に会うとき、何も準備しないで行く人がいるけど、それは逆の意味で「すごいな」って思ってしまいます。会社でお客と話をするとしたら、その相手方のホームページすら見ていない状態ではとても話せない。それをしないことは危険です。「相手を知る」ということは、非常に重要だと思います。ペンションの経営もそうで、表に現れるのはお客さんをお迎えするところからですが、実際には、準備の段階で8,9割は決まってしまいます。組合の会議でも、資料は絶対に準備して「今日はこれを決める」と、目的をもって臨んでいます。準備は自信が持てるまでしていたので、イレギュラーなことがあっても、慌てることなく、冷静に自信もって対処できるようになりました。

このような準備の積み重ねをしてきた経験があるからこそ、5年前に移住してから大きく成長できました。「移住したばかりの自分じゃできないな」って思うことが、今はできます。

僕は、実は人見知りなんですよ。全く知らない相手には積極的にコミュニケーションをとることができませんでした。それに、150人もの大人数の前ではっきりと意見を言えることもできなかった。それも、準備して経験して、少しづつ変わっていって、初対面の人とでも大人数の前でも、話すことができるようになりました。

これは結局、はいろいろなことを経験して、小さな自信を少しづつつけていくしか無いように感じます。組合に参加してから一番最初にやったことは、組合のクリスマス会の企画でした。ペンションの組合の中で西部班、中部班、東部班、で10程度づつ分かれているのですが、僕が西部班の企画をすることになりました。その時にしっかり準備して企画したことで、次第に信頼してもらえるようになりました。そこから、理事や農泊など、いろいろなことを任せてもらえるようになりました。

「利岡さんが準備するにあたって気を付けている点は何ですか?」

「こういうこと言われるだろうな」「こういう反応する人いるだろうな」と想像し、それに対してどうやって答えるのかは準備します。なので、当日、何か質問されることがあっても明確に答えることができたり、答えることができなくても「これは一回持ち帰れば答えは出るな」と判断することができるようになります。

でも準備する力がつくかどうか、自分の周りの環境にもよると思います。今、僕の仕事のやり方の土台となっているのは、社会人時代です。もし違う会社で働いていたら、今の自分とは違っていたなって思います。大学のときどんなに優秀な人でも、その後どう過ごすかで大きく変わります。いくら優秀でも、仕事が「楽だな」ってその人が思うとしたら、その人の才能をもっと引き上げられたはずの部分が、引き上がらない。やっぱり苦労しないと、レベルは絶対に上がりません。そういう意味で、僕は社会人の時代に追い詰められて、鍛えられたことが多くて、その経験があったからこそ仕事に対して取り組み方やその結果が変わったと思います。いくら本を読んだとしても、このような実体験がないと身につかないです。例えば、エクセル使おうと思って本を読んでも、使い方なんて身につかない。それを使って何かを生み出す必要に迫られないと、力はつかないです。

 「ちょっと背伸びする人生」を重ねることが大切だと、僕は思っています。当時の僕は、月曜日を迎えることが、本当に嫌で、追い込められ方がすごかったので、「ジャンプ」ではなく、「背伸び」がベストですね。どちらにせよ、自分のスキル以下のことをやっていたら、絶対に成長はできません。そういう意味で考えると、僕の今の環境は、自分自身を追い込んでくれて、成長できる環境にあると思います。

公務員って、どう「背伸び」していけばいいと思いますか?

「前例だから」として当たり前にとらえて思考停止していては、最終的に大きな差になってしまいます。例えば、作業をする中でも、「いかに質を追求するのか」「いかに効率的にやるのか」を考えることが大切です。このような非効率な部分は、実は若い人の方が気が付きやすいと思います。その気付きを失わないようにしないといけない。「自分だったらこう」と思ったことを追及していかなければなりません。

また、その中でも、組織内で波風を起こさないことも大切です。「できます」アピールして、自慢気にしている人は、たとえ本当にできていたとしても嫌われてしまう。そうすると結局自分の成長につながらなくなってしまいます。どんなに異色の存在でも、肩書きが無ければできることは限られてしまう。なので、「嫌味っぽく見せずに、『できる』」ことが重要です。そして、出世した時に、しっかりと変えていけばいい。そのためには、たとえ今すぐ変えることができない部分でも、「こう言われたから」となるのではなく、「もっとこうした方がいいのかも」と常に考える姿勢を持たなければなりません。

また、自分の中で持て余している感覚があるのであれば、何かしらのことを自分に課して、やれることはどんどんやっていかなければなりません。このようなインタビューをする機会を作ることもいいと思いますよ。

最後に、利岡さんにとっての「地域活性化」とは何ですか?

それは考えておかなければならないテーマですね。

僕が思うのは、「CIVIC PRIDE」にもつながりますが、「そのまちに住んでいる人がそのまちで楽しんでいて、そのまちが好き」であることだと思います。今のまちは、知らない人同士でも、すれ違ったら普通に挨拶する。これがさらに、このまちが好きで、来てくれた人に感謝できる状態で、観光業以外の人でも、観光客の人に値して「こんにちは!」って挨拶したら、来てくれた人は一瞬でこのまちが好きになると思います。今は、僕でもそんなことできませんが、これを全員が当然にできるようになったら、これは本当に地域活性化だと思います。

そのためには、「このまちが好き」で、「このまちをみんなに知らせたい」と思っていて、「このまちに来てくれた人に感謝の気持ちが湧く」状態を広げることが必要で、それが地域活性化の根本にあると思っています。

「観光客を増やす」ことは確かに重要ですが、自分のまちが本当に好きじゃないと、心の底から呼べないですよね。僕が友人に「このまちに来て!」って言えるのは、このまちに自信があるからです。ここが本当にいい場所だから、この良さを伝えられると思っているから、心の底から呼ぶことができます。それをみんなが思えるように、この想いを広げていきたいです。

そのためには、IKOの活動も、将来的には観光事業者のつながりだけではなく、「観光事業者」と「住んでいる人」の隔たりを無くしていかなければなりません。

たとえ観光事業者が観光客を呼んだとしても、「うるさいだけだ」「生活が脅かされる」と思っていては、距離ができてしまい、本当の意味での地域活性化にはなりません。

「ブランド研究会」という、10人程度の観光プロモーション事業があるのですが、僕も委員として「伊東市のブランディング」をテーマに活動しています。そこでは「ブランドブック」というものを作るのですが、そこでは観光業の人だけでなく、市民が「自分のまちはこうありたい」「自分のまちはこうなんだ」ということを、共有できるものとして作りたいと考えていて、そのためには、「こういうことをやっていますよ」と、製作の段階から周知していかなくてはなりません。突然、僕たちが作ったものを住民に見せたときに、「誰が考えたの?」「何これ?」という不信感を持たれてしまうかもしれないからです。だから、誰かに取材してもらったり、自分たちから積極的に発信していくことは重視しています。

「自分のまちはこうだ」「ここが好きだ」って考えている人は少なく、まちの良さに気付いていないと思っています。そこの良さに気付いてもらうためには、この発信は不可欠で、それをし続ければ地域活性化に繋がります。

ブランド研究会の中では、「旅行行ったときに感動したことは何か?」というテーマで話したことがあるのですが、最も多く出てきたのは「人」でした。

あるまちにいったときに、そのまちの人が親切にしてくれた経験は、なぜか記憶に残ってしまうんですね。だから、伊東市もそういう「人」の魅力がもっとあふれるまちであってほしいし、そうなったとき、本当に魅力あるまちになると思います。

それは、お金ではどうしようもできない部分。プロモーションではなく、どうみんなの気持ちを高めることができるか。そこの点が本当に重要ですね。

伊東市全体でもそういったことを意識して活動していかなければならないと思っています。

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【感想】

今回も、時間があっという間に過ぎてしまいました。

以前のインタビューと感じた共通点は、追い込まれた環境だからこそ、必死になって頑張れるということです。前回のラーメン屋さんも、利岡さんも、新しい道に進むしかないという状況だからこそ、怖さを感じることなく、進むことができたと言っていました。

確かに、多様な選択肢があるというのは、余計なことを考える余地ができてしまい、挑戦することをためらってしまいます。それでも生きていくことはできるけど、どこかの時点で、「このままでいいのか?」と感じてしまうことがある気がします。極端な環境は、やはり人を成長させるんだなと思いました。

また、利岡さんの、組織の上に立つ人間としての姿勢がめちゃくちゃかっこよかったです。「忙しくするのが好きなのかも」と聞いたとき、生粋の仕事人間だと感じてしまいました。121の施設全てに足を運ぶのは、相当な労力だったはずです。それでも、IKOのメンバー1人ひとりと一対一の関係を作ることを意識して、行動されていました。給付金申請の際も、困っている人がいたら手伝ったという話が印象的でした。人の上に立つ立場でも、一人の人を見失わず、寄り添うことができることはすごいことだと思います。

また、それだけでなく、「組織の中で波風立てないことも大切」とおっしゃっていたことから、全体を見通すことも重視されていることがわかりました。たしかに、自分のやることだけやっていて、本業自体を疎かにしていたら、意味がありません。どんな環境であろうと、その環境を選んだのは自分自身の責任で、どうしても違うと思うなら辞めるという選択肢をとるべきです。自分が選んだ環境の中で、いかに成果を出すか。それを考えることができずに、その組織に対して文句を言ったり、逆らったりするのは履き違えていて、ただの思考停止です。そして、そのような人は、結局どこに行っても輝くことなんてできないだろうなと思いました。利岡さんは、「自分の仕事の土台ができたのは、企業で働いていた時で、本当に追い込まれていた」とおっしゃっていました。きっと、トラブル回避を徹底しなければならないという制限された状況の中でも、ご自身の中で必死に考え、会社のために努力してきたからこそ、そのような言葉が出てくるんだと思います。

そして、「地域活性化」の中でも話があった、「CIVIC PRIDE」という言葉は、本当に良い言葉だと思いました。自分自身、「地域活性化とは何か?」を考えた時に、明確な答えは今まで見つかっていませんでした。よく人口とか観光客数が指標としてあげられますが、その数値が改善すれば地域住民が幸せになるかと言ったら、それには違和感を感じていました。そして、利岡さんの「CIVIC PRIDE」の話を聞いて、まさにその通りだと思いました。

自分自身がこのまちを好きであり、誇りを持っているからこそ、心から観光客を呼び、出迎えることができる。その意識は、たしかに自分を含めて弱いと思います。自分のまちに誇りを持てているかと考えると、自信を持ってそうだととは言えません。電車を使わないと飲みに行けないし、大型店舗もない。そんな利便性の部分だけに目がいき、本当にいい部分に気がついていない状態だと思います。このようなインタビューをする機会を含め、もっと自分が住んでいる地域のことを知り、このまちを好きになることが大切だと感じました。

過去から現在に至るまで、このまちに対する想いと仕事観までお伺いすることができ、自分にとって本当に楽しかったし、勉強になりました。

利岡さん、ありがとうございました!!

アースルーフ
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住所/〒413-0234 静岡県伊東市池615−87
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